齋藤的藝術

2016/02/22

(こちら、長野に向かう新幹線で書きました。)

 

齋藤、長野に向かっています。

新幹線はサラリーマンでいっぱいです。皆様お疲れ様です。

さて、今日はアーツアンドクラフツ運動について。

美術や社会で習った方も多いですかね?

ウィリアム・モリスによる、生活と藝術を切り離さず、統一することを推奨した運動です。

さて皆さま、IRONYの服は、藝術品でしょうか?

それとも大量生産された消耗品でしょうか?

もちろん衣服なので、消耗品ということには間違いありません。

しかし、鑑賞や、愛でるに値する「作品」と思うことは間違いでしょうか?

もちろん、その答えは個々で違うはず。

この問いはどんなものにもかけることができます。

有名なものに、榮久庵憲司がデザインしたキッコーマンの醤油瓶があります。

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工業製品にデザインは必要ない、と思われてたところに現れた革命児。

機能性と簡潔な美しさは、同居しているというより

融合していると言った方がいいかもしれません。

明かりが当たることで起こる色のグラデーションやコントラスト、

持つ前から手にフィットすることが想像できる滑らかなカーブ、

その折れそうな貴婦人の首のごとき、持ち手。

見れば見るほどにため息が漏れます。

そして実際に醤油をさしたときの、その軌道。

「使えればいいもの」から「置いておいても、使っても気持ちの良いもの」へ、

「美の民主化」を唱えた榮久庵の思いが見て取れます。

デザインを感覚的なものから理論的なものに確立した彼は、きっととてもすごい人なんだと思います。

 

洋服もしかり。

肌身を覆い、外的な刺激から守り、寒暖を調節するもの。

もちろんそれでも成立します。

でも、例えば、

とても肌触りが良く快適な気分になる、

考えられたパターンで美しいボディラインが出る、

絶妙な配色で顔色が明るくなりハッピーな気分が湧いてくる、

遊び心のあるグラフィックで自分だけの密かな楽しみを持てる…

無限に藝術的価値を付けることもできます。

もちろん、アイテムに関わっている人が誰1人不幸な思いをしていないことも含め。

少なくとも、IRONYはそういう気持ちで作りたいと願っています。

 

次に待っているのは、選択の美学です。

溢れるものの中で何を選ぶのか。

消耗し、捨ててしまったとしても、

「あの服、好きだったな」という思いが残ること。

それも藝術作品の1つだと本気で思っています。

藝術は、手に触れられる形でしか存在しないものではありません。

 

なんだか真面目な本日でした。